入院から退院までの経過

さて、今日は入院中の経過を書くことにします。

2005年1月11日 すでに検査で左乳房の上部と数個のリンパ節転移があるだろうとのこと。手術は乳房温存術であること、しかも乳腺内視鏡手術(乳輪周囲を切って、表面をテントのように持ち上げて中の悪いところだけくり抜くみたいな)であること。リンパ節は腋窩になるからほとんど傷は目立たないとの説明でした。と、言われても何せ初体験(お腹は切ったことありますが)自宅に帰ってインターネットで検索しまくりでした。
この日、検査技師の方が言ってくださった素敵な一言。
「あのね、神様は試練を乗り越えられる人にしか試練を与えないの、だからきっと乗り越えられるよ!」

1月17日 入院  CT検査(肺、肝臓等への転移は無い)

1月18日 手術前日、励ましに友人が訪ねてくれる。大好きなコーヒーをポットに入れて、1人はCDを10枚以上、1人は本を10冊以上持参で、手術の話は全くなし。気遣ってくれているのがよく伝わってきました。(^人^)
22:00から絶食。よく眠れるようにと睡眠薬が出る。

1月19日 手術  朝早く目覚める。やはり神経が興奮しているのか夜中に何度も目が覚める。朝までが長い。 
手術室へは点滴を押しながら自分で歩いていく、妹の精一杯の笑顔に見送られながら。長男には簡単な手術だから仕事を優先するようにと促し、次男は合宿自動車免許教習に行かせる。母はこれくらいのことでへこたれませんと強気なところを息子たちに見せて・・・。もちろん泣き顔も見せません。それでも長男は本心を気づいていて、苦笑い。次男は母を鉄の女だと思っているみたい。本当は泣き虫のわたしだけれど、息子たちの前では鉄の女を演じます。因みに父もわたしのことを鉄の女だと言う。それは、母が亡くなった時に涙を見せなかったから。事実、本当に泣いたのは数年経過してから、お墓の前で号泣しました。あんなに泣いたのは初めてかも。(;´▽`A``

1月20日 朝から普通食。鎮痛剤を服用のため痛みなし。

1月21日 便秘(入院してからでてない)

1月22日 点滴終了。下剤でほんの少し出る。
ヾ(@^▽^@)ノ 子宮がんの手術以来便秘にはかなり神経質になっているみたい。
1月25日 抗癌剤をすることを決める。
手術の結果、乳房の上部10㎝四方を取り除き、リンパ節転移が12個もあったことから、今後の転移の可能性大。アメリカのがんセンターのHPにアクセスして調べると、手術しただけだと
5年生存率17%、化学療法、ホルモン治療、放射線治療の全てをした場合でも48%と出る。それって、5年以内に死ぬ確率が5割か?5年以上生きられる確率が5割か?そんなこと言ってる場合じゃない。やるしかない!でも、副作用は?髪は抜けるの?わたしの唯一の自慢は髪。中学生のときから伸ばしている黒髪。抜けてしまうなんて・・・どれほど辛いのか想像も出来ない。でも、命と引き換えには出来ない・・・と、誰もが言う。だからと言って抗癌剤が効いて再発転移しない保障はどこにも無い。どうする?どうする?頭の中で堂々巡り。

1月27日 1回目の抗癌剤投与(タキソール)初めてなので5時間ほどかけてゆっくり落とす。
その日の日記から「点滴の1滴1滴が命の時間のように思える。生きたい、生きたい、生きたい・・・」夜、発熱、殆ど眠れず。点滴に吐き気止めが入っていたので吐き気はない。

1月28日 ホルモン治療開始(LH-RHアゴニスト製剤 お臍の下くらいにバキュンと注射)午後から顔がのぼせて赤くなる。

1月30日 ようやく抜糸 傷は乳輪の周囲なので殆ど目立たなくなるそうです。腋はえぐれた感じ。どちらも引きつって硬くてジーンと痛む。

2月7日  退院 ~\(^-^)/
ま、こんなところかな。
思い出しながら書いているとズーッと昔の出来事のようにおもえてくる。
その当時の日記を読み返すとかなり思いつめていたのだと苦笑いしている冷静な今のわたしがいます。当時より今のほうが進行しているのに変ですね。
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by coo-sora | 2006-11-29 18:30 | 乳がん